1 湛然 ★ :2025/04/17(木) 06:26:45.29 ID:VsW48qMn9
https://news.yahoo.co.jp/articles/97b598e9e83afa4027a6ae1a3a224cefc9575ace
三宅香帆氏(左)、竹内 洋氏(右)

(出典 newsatcl-pctr.c.yimg.jp)
2003年に刊行された中公新書『教養主義の没落』が、シンガーソングライターの米津玄師さんから「べらぼうに面白かった」と評されたのを機に、今年に入って3回の増刷を重ねている。著者の竹内洋さんと、同書に触発された『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』(集英社新書)で「新書大賞2025」の大賞を受賞した三宅香帆さんが、教養について語り合った。
(『中央公論』2025年5月号より抜粋)
■教養=権威主義は過去のもの?
三宅》『教養主義の没落』の再ヒット、おめでとうございます。
竹内》ありがとうございます。私自身もびっくりするばかりで、狐につままれたような気持ちです。(笑)
三宅》先生は『丸山眞男の時代』や『立志・苦学・出世』などのご著書で、さまざまなアプローチから教養を論じてこられました。
竹内》1999年刊行の『学歴貴族の栄光と挫折』を書くなかで、旧制高校生がいかに教養主義的だったかを痛感したので、次のテーマは教養主義か高等遊民かのどちらかにしようと思って書いたのがこの本です。友人からは「あんたの本のタイトルは『挫折』とか『没落』ばかりで後ろ向きだ」と言われましたが。(笑)
三宅さんの書名『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』はご自身の案だと伺いましたが、私の本のタイトルと「読まなければならない本、というものがあった…。」という卓抜な帯文は、編集者のアイデアです。
三宅》その本が今再び、米津玄師さんはじめ若い方に刺さっていることについてはいかがですか。
竹内》浅田彰氏が1983年に出した『構造と力』のブームを最後に、本を読まない大学生が増えました。ただ拙著の刊行当時、教養という言葉には「君は教養がないね」といった言い方に象徴される、「上から目線」の暴力性がまだ残存していた気がします。教養にまつわるそうした権威主義的イメージが、世の中から消えたのが現在ではないでしょうか。むしろ「そんな時代があった」ことにノスタルジーを感じ、「『読まなければならない本』がある教養主義って、なんなのだろう」と素朴な興味を抱いた若い人が読んでくれているのだと思います。
三宅》2000年代初頭といえば、人文系では東浩紀さんに代表されるゼロ年代批評ブームでした。私は学生時代、少し遅れてゼロ年代に出たさまざまな本を読みながら、今後、教養を再発見して楽しむ動きが来るかもしれないと感じていました。
教養という言葉を権威主義的だとして嫌厭した上の世代に比べ、米津さんや私の世代には、そうした抵抗心がありません。知識も教養もこだわりなくフラットに楽しみたいと思っているから、『教養主義の没落』が新鮮に映るのだと思います。
音楽の世界にも、一昔前までは「聴かなければならない音楽、というものがあった」のでしょう。米津さんはネット出身の方なので、思いあたる節があったのかもしれません。
竹内》往時の教養主義はまさしく「強要主義」でしたが、今世紀に入ってからは「今日、用がない」という意味で「キョウヨウがない」と茶化す冗談が流行るなど、「君は教養がないね」式の権威主義的な教養観を無化する傾向が進み、おっしゃるようなこだわりのない状態にたどり着いた。そう考えると頷けます。
三宅》教養主義の中核は読書で、本=教養なんですね。人文書中心の読書を通じて純粋に人格を高めることを目的に本を読んだ時代は確かに存在しましたが、比較的早期、大正時代あたりで終わったのかなと思います。なのに本=教養というイメージだけは今もしぶとく残っている。先生の著書を読んで、それはなぜなんだろう、と逆説的に考えました。
竹内》本当の「教養」が残ったのが今なのかもしれませんね。かつての教養主義には邪心がありました。インテリとして認められたいとか、偉い人なら難しいことを言う必要があるとかの、立身出世と絡んだエリート文化の要素があったわけです。そしてエリート文化だったから、大学が大衆化していくなかで滅びました。でも今はそうした下心や雑念が消え、本来の柔らかな理想主義や人格主義に戻ってきたのではないか。
(※以下略、全文は引用元サイトをご覧ください。)
そういう人間が読んでるのがマルクスとかだからじゃないの?
あと世の中で評価されてる本って
ほとんど推理小節とかだもんな
専門書って読んでる人は読んでるけど評価されないし
ハードカバーなんて今や2000~3000円
米の価格に文句言ってる層が買いそうか?
そういう奴らが図書館で難しい本を読むとは思えない
だろ?
でも、昔はそんなアホが「この本読んだら俺も頭が良い側の仲間入りだw」って喜んで読んでたわけ
その余力すらないのよ
そういう層は今はネットで真実の世界にいるんだろう
本を読み人格を高めろ
人格高めたら5chによくいる40過ぎても底辺職でパパの家に住んでママにお世話してもらってるどうしようもないおっさんが変われるの?
どん詰まり過ぎて本読んでる場合じゃないでしょ
本も読まないでSNSでグチグチ悪口ばかり書き込む世代を育てた親達世代は本を読んで人格を高めたんだろうか…
お前らって人を*にするの大好きなのに、自分が*にされるのめちゃくちゃ嫌がるもんなw
実用書はネットで検索したほうがマシ
この前引っ越しを業者に頼んで作業してもらってるときに「あ、漫画ありますね。俺、なろう系とか大好きなんですよね。気分がスカッとして現実逃避出来るんで本棚全部埋まってます」って言われたときにどうい返しすれば良いかわからなかった
素直でええやん
時間の無駄すぎ
これはある
Linuxを使っているとAIに質問したほうがマシ
個人的には、AIを使うのは自分が間違えてないか確認する時だな
照合するというか
20年来の付き合い辞めたわ
アホかお前はw
>>26
5ch民ってすぐに「マウント」取られたって言い出すよな
相手が金持ち、もしくは頭が良いだけで、勝手にマウント取られると感じるんだから卑屈なだけでは?
何を卑屈なレスしてんの?
最初にマウントの話したのは俺じゃないんだから、そういう返ししてもいみないよ
最初に卑屈の話したのは俺じゃないんでね
まあこういうのが本当の意味で教養が無い輩なんやろな
リベラルというのは「どんな人間も平等」という思想なので
「本を読んでも読まなくても平等」となる
そうなると教養を持てば持つほど「教養は要らない」とどんどん自壊していく
「教養を持つ者は偉い」という地点で留まってる民主党系の教養主義者は
思考が足りないのよ
教養があるほど平等の意味合いが変わってくるな
これはある
左翼、日教組がこの思想をばらまき
フジテレビのノリで、それを実行した。
新聞読んで居れば教養があるわけじゃないからね・・・
AVとか*に詳しいみたいな?
中世にも*はあったらしいな
SNSは横書きだからじゃない?もしかしたら
数百文字以内の短文に慣れすぎてそれ以上が読めないんだろ
Wikipediaだって項目を辿れば欲しい情報だけピンポイントで読めるしな
違う
活字本を読めない人は脳の機能の問題
SNSの短文に慣れてしまったからというものではない
新聞って読んだ後に邪魔だし片付けるの面倒なんだよな…でうちは止めてしまったんだけど、
世の中で断捨離とやらが流行りだしてから反教養が増えてきた気がするのはなんか無関係じゃないような気がしてきたわ
新聞のように読んだら捨てるものはもう紙ベースでやるべきじゃない
本気でCO2削減する気があるなら紙の新聞や雑誌は撤廃すべき